Review | 名建築を訪ねて 建築家・新堀 和巳の考察
CASE.03 いわさきちひろのアトリエ(黒姫山荘) 設計:奥村まこと

無駄をそぎ落とし、豊かさを手に入れる
コンパクト住宅の理想形がここにある

今回は、安曇野ちひろ美術館の敷地内に再現された、絵本画家であるいわさきちひろさんの黒姫山荘をご紹介します。この建物は4間四方(一部は再現されず)のとてもコンパクトなアトリエ兼住居です。現在、小さな家がブームとなりつつありますが、私はこの建物は、暮らしの形としての住宅の理想形だと考えています。簡素化、清楚さを追求した先にある本当の暮らしの豊かさ。そんな大切なものを、この建物は教えてくれています。

【人間の所作をデザインに置き換える】

住まう人の心の原風景まで知り尽くし、
機能的、合理的な住まいを設計していく

冒頭に“コンパクト”といいましたが、この建物は素形(※)の美しさに集約されています。設計というものの本質や面白さを理解している人は、この素形に辿り着くのですが、なかなかそこまで達することは難しいです。もう少し分かりやすく説明すると、素形化するということは、“生活の所作をデザインという形で置き換える”ということ。デザインが形として先行するのではなく、あくまでの住まう人の所作を整理することで形が出来上がっていくのです。これは施主と設計者がじっくりと話し合わなければ成し得ないことですね。その人の原風景を見て、知らないと、こういう設計はできません。

(※)建築家 内藤廣氏による言葉。そもそもデザインは無意識から構成されていくものゆえに素形の意味を言語化することは難しいと同氏。「海の博物館」「オートポリス・アート・ミュージアム」「筑波・黒の家」「志摩museum」「杉並・黒の部屋」などの作品から感じ取って欲しいと語っている。

【配膳効率も考え抜いたキッチン】

普遍的な要素でつくられることにより
狭さを感じない豊かな空間が完成する

4間四方と聞けば狭いと感じるかも知れませんが、生活するうえではこれで十分です。この設計は奇をてらっていなくて、とても普遍的な要素でつくられています。たとえばキッチンですが、とても合理的。作業台壁に向かってL字に配して、コンロ兼用の暖炉と居間兼食堂となるスペースすべてを、8帖間の中で完結している設計です。

【計算し尽くした寸法による機能性、豊かさ】

住まう人にとってベストな位置、高さを
延々と追いかけることで空間に清楚さが宿る

この建物は、すごく丁寧な寸法の取り方をしています。高さも含めて、とてもオーソドックスなのですが、実は、このオーソドックスな寸法の押さえ方が難しいし、根気のいる作業なのです。なぜこの住まいの空間が清楚に見えるかというと、寸法の追い方がすごくはっきりとしているので、一つひとつの納まりに迷いがなく、それが見切りにつながっています。迷いがないということのたとえとして、空間全体で見たときに建物の各部の寸法の押さえ方が必然性があり、納まりが破断していないことです。たとえばストーブの横にある調理器具などを引っかける場所と高さを考え、計算し尽くして決めているというのがすごく分かります。ダイニングと和室の段差も、この敷居にいわさきちひろさんが座る高さとか、借景をとらえる場所が、どこがいいのかなど、そういうものすべて含めて考えられています。この段差も、あの引っかける場所も微妙な高さですよね。建具の目地に合わせたくなるものですが、建材のサイズに合わせてつくってしまうと、寸法がたちまちバランスを無くします。ひとつの高さを決めると、それに影響してまたひとつの高さを決めていかなければならない。そういう作業を建築家は延々とやるのです。だからこの清楚で簡素な、美しく豊かな空間が誕生するのですね。手を抜くとバランスが悪くなって、清楚には見えなくなります。

【環境を取り組み、馴染む高床と大窓、素材】

細部にまで最も美しい形を求め続け
住まい全体のプロポーションを磨いていく

黒姫山荘は、野尻湖や建物を囲む美しい樹木を存分に愛でられるように、床の高さから大きく窓が取られています。また少し高床になっていますね。暮らしの中に周辺環境をしっかり取り込む工夫がなされています。この設計は吉村順三先生の脇田山荘にあるような、戸袋にすべて戸を引き込めるような仕掛けはしていません。あくまでコストや合理性の上で判断して、普遍的なデザインとしています。窓枠も、おそらくこの寸法も強度から割り出しているのだと思います。必要とする強度の中で一番細いものを選んだのではないでしょうか。どの部分においてもしっかりと考えたプロポーションになっています。すべての寸法には意味があるし、デザインとして成立する理由があるのです。素材としては、杉板と漆喰という日本で最も使用されるもので構成されています。吉村順三先生の合理性や質感への美意識を受け継いでいますね。外壁の杉板も真ん中から上下に行くにしたがって板の幅が狭くなっています。これを普通に上から貼ると、最後は細い板になってしまい、美しくありません。合理性と美意識のバランスを取るところに建築美が宿るわけです。

【大きくせり出した下屋】

雨、そして落ち葉など、周辺環境を考慮
同時に室内から見た見切りの美しさをも追求

この建物で興味深いのは、下屋が大きくせり出しているところ。このつくりはとても面白いですね。黒姫山荘は、最初は平屋だったものを樹木の成長とともに野尻湖が見えなくなったことから2階を増築していますが、その結果、高さがあるので雨がかかり過ぎるのでしょう。あの三角形をここまで出す必要があるのかとは思いますが、おそらく中から見たときの見切りが、このほうが美しいのでしょうね。また山ですから当然、落ち葉も多くなります。そんな環境下では雨どいは成立しませんから、屋根をこれだけ出していると思います。今の世の中、家を建てるときにすぐに数値化による気密性の確保などといわれるのですが、本当に心地いい住まい、暮らしていて豊かに感じる住まいは、そういった数字面だけの尺度では計れないし、つくれません。黒姫山荘には、コンパクトだけれども豊かさがありますよね。このような簡素で清潔な空間を勉強しておくと、上質な空間とはどんなものなのかが理解できるようになると思います。

【環境に前に人間がいる設計】

美しい借景が暮らしの一部として溶け込む
住まう人が自然体でいられる空間設計

黒姫山荘は、山の中にありますから、一般の住まいと比べて暗かったはず。だからこれだけ大きな開口部を取って明るさを確保しつつ、樹木を借景として切り取って楽しんだのだと思います。これはとてもモダンなデザインです。これだけの窓のある家は、一日の時間の経過とともに変化する樹木による陰影も存分に楽しめます。野尻湖の見え方も朝と昼と夕方では違ったことでしょう。このようなロケーションにあれば、ある意味、どうにでも自由に設計できるわけですが、奥村まことさんは、03-Aでお伝えしたように、あくまでもいわさきちひろさんの所作から設計されています。環境に前に人間がいるわけです。だから向こうを見ろ、あの景色を眺めろ、といった傲慢な設計ではないのです。すっと心の中に景色が入ってくる設計。これこそが住まいづくりに求められる大切なものではないでしょうか。

新堀 和巳

有限会社新堀和巳建築設計室 代表取締役。一級建築士。渡辺明設計事務所にて活躍後、独立。兵庫県安心住宅設計競技「システム提案部門特別優秀賞」受賞、あたたかな住空間デザインコンペ「LDKリフォーム賞」受賞など、数多くの受賞歴を持つ。住生活が第三の皮膚に相当するというバウビオロギー(建築生物学)をベースに、住まいづくりを進めている。